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君子は豹変す



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現在は「光の尖端都市」として世界の医学や物理学分野を牽引している浜松市であるが,そのものづくりの源流には豊田佐吉らが興した「織機産業」や山葉寅楠が創業した「楽器産業」などがあるということが広く世間に知られている。

これらの産業に次いで戦後の遠州地方を盛りあげたのが「オートバイ産業」である。
大戦後,27回にも及ぶB29の爆撃によって市街地の9割以上が焦土となった浜松市では,「やらまいか精神」をもった技術者達の手によってオートバイ産業が活況を呈した。
『浜松オートバイ物語』天野久樹著 より引用 

「石橋を叩いて渡らない」という堅実で慎重派の三河人と違って遠州人の気は逸い(短い)。
とりあえずやらまいか!
遠州の技術者達のなかには「石橋を渡ってから叩く」といったタイプの人間が多いのだ。

本田宗一郎が浜松市山下町に本田技術研究所を構えて自転車用補助エンジンの製造を始めたのが昭和21年のこと。
その7年後の昭和28年頃には30社を超えるメーカーが浜松に林立し,遠州地方は一躍「オートバイの町」としての名を馳せることになる。
ヤマト商会の『ヤマトラッキー号』,北川自動車工業の『ポートリーロビン号』,そして加藤鉄工所の『ストロング号』などが新聞等の広告を賑わした。

本田宗一郎のアート商会時代の弟子である伊藤正も,同市上池川町に丸正自動車を設立して(現在でも多くのファンを持つ)『ライラック号』を世に送り出している。

これらのメーカーは時代の趨勢を受けて整理統合され,現在もなおオートバイを生産し続けているのは ホンダ,ヤマハ,スズキの3社のみである。
一時たりとはいえ数々のレースでホンダなどを打ち負かした丸正自動車(かの伊藤史朗のライディングによって第1回浅間火山レースを制した)も,昭和36年に会社を畳んだ。

丸正自動車の設計責任者であった溝淵定は,ブリヂストンに移籍して同社の勃興に大きな力を発揮した。
やがてブリヂストンが本来の生業であるタイヤや自転車の製造に傾注するようになると,溝淵は台湾に異動して現在まで続く同国のモペット製造の礎を築くことになる。

機をみるに敏。
台湾から日本に戻った溝淵は,東海電装の技術責任者としての重責を担う傍らで,丸正自動車の同窓である請井由夫と共に新機軸のギョウザ製造機を開発した。

そういった沿革をもつ餃子センターへ,やらまいかスピリットがたっぷりと染みこんだぎょうざを食べに行ってみた。


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ぎょうざ製造メーカーのアンテナショップ。


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製造機の手による餃子,なかなか美味しくて食べ応えがある。


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ついでに焼きめしとラーメンも注文。

いにしえから連綿と続く技術者達の魂を目のあたりにして(胃袋に納めて),大満足のうちにセンターをあとにすることができた。

現在の浜松市は,「光の尖端都市」であるとともに「餃子の街」となっているのである。



by noritoyuka | 2020-03-01 03:30 | 車・バイク | Trackback | Comments(0)