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紅いヤツ
2020年 03月 24日
世界が恋するホンダから,日本のカブ主あてに新製品のお知らせが送られてきた。
おぉ,噂に聞こえた「CT125(ハンターカブの後継機)」のカタログだ!
訳あって先代とはずいぶん前にドナドナしてしまったけれど,彼にはユックリながらもトコトコと全国のいろいろなところに連れて行ってもらったなぁ。
先代との懐かしい思い出が蘇る。
やっぱり世界のナイセストピープルは赤いホンダにのるのだな。
驚いたのは車両のパンフレットに車外品のパーツカタログが同封されていたところ。
すでにモリワキのモナカマフラーまでもがラインナップされているよ。
いかん,やっとのことで抑えていた物欲が,またふつふつと湧き上がってきてしまっている…。
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by noritoyuka
| 2020-03-24 12:14
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ソウルフードの系譜
2020年 03月 24日
「韓国の首都で食べられている料理のヒストリー」のハナシではない。
若いころ,名古屋の東のはずれにあった古びた寮に住んでいたことがある。
寮に賄いは用意されておらず,もっぱら共同炊事場で煮炊きした創作料理で糊口をしのいでいた。
(ごく稀に)先輩に外食へ連れ出してもらった際には,「世の中の料理はこうも美味しいものか」と感嘆したように記憶している。
なかでも一番印象に残ったのは,一度だけ連れて行ってもらった店で食べだシンプルならーめんである。
しかしながら,「美味しかった」との印象が残っているのにその店の名や立地などは全く思い出すことができない。
「山盛りのモヤシ」や「器の下の皿」等のキーワードをよすがにGoogle先生に伺ったところ,どうやらその店の名は『ラーメン藤』であるらしいということが判ってきた(京都にあるラーメン店のフランチャイジー)。
さらに同先生に訊いたところでは,名古屋にあったその店はずいぶん前に『藤一番』と『福』に分家され,今現在もそれぞれがチェーン展開して営業を続けているらしいとのことである。
そういった甘酸っぱい思い出を胸に秘め,新型コロナ対策を充分に行ったうえで名古屋へセンチメンタルジャーニーに出かけることとした。
まずは亀のマークのこちらの店へ。
ふつうに美味しい。
でも,思い出のらーめんはこんな味だったっけかな。
そうであったような,ないような…。
調理していた人はもっと職人気質だったような気もするぞ(提供されるらーめんはもっとマスプロ感がなかったような気がするぞ)。
続いて女の子のマークが特徴的なこちらの店へ。
向かうは『ラーメン藤』の名古屋での創業の地であったという十一屋店。
お,記憶の中の店舗の様子と目の前の風景が合致した!
提供されるらーめんに期待が高まる。
まちがいない。
これが記憶の中のらーめんだ!
懐かしの味に舌鼓を打ち,大満足のうちに店をあとにすることが出来た。
こうなると京都にあるという本家本元の『ラーメン藤』の存在がどうにも気になってくる。
さっそく西へ移動。
聖地到着。
暖簾をくぐっておもむろに一杯を注文。
店内の様子は『福』のそれとほぼ同一だ。
目の前に提供されたらーめんの麺を手繰ってみる。
なるほどおいしい。
これが元祖,本店の味なのか。
思い出の味の源流を辿ることができ,大満足のうちに店をあとにした。
今回,関連する3店舗を巡って思ったことがある。
それはファウンダーの提供するプロダクツが必ずしも最上とは限らないということだ。
自分にとっては,元祖が提供するそれよりも若かりし頃に口にした一杯の方が美味しいと感じられる結果となった。
三つ子の魂百まで?
ちょっと違うか。
よく言われる「オリジナル盤よりも最初に聴いた指揮者の演奏が自分にとっての名盤となる」というクラシック音楽のロジックにあてはまるのかな。
果たして,これからもちょくちょく『福』へ出かけてみようと思うに至ったというハナシ。
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by noritoyuka
| 2020-03-24 02:41
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『雇用の未来』
2020年 03月 18日
マシンラーニングの権威である英国オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン博士によると,10年後にはアメリカの職業の 47%が(日本の職業の 49%が)AIやロボットに置き換わってしまう可能性があるらしい(のちのドイツ政府によって「9%が正しい数字なのではないか」と指摘された)。
10年後の社会構造はどうなっているのかな。
果たして今の自分の職業は10年後に残っているのかな。
そんなことを考えながら車で町中を走っていたところ,銀行と思しき建物の入口や前の道路に長蛇の人だかりがあることを発見した。
すわ,銀行で取り付け騒ぎが発生している?!
件の博士も「銀行業務の雇用も楽観視できない状況にある」って言っていたしな。
はたまた新型コロナウイルスのデマに起因したパニックだったりしなければいいんだけど…。
ふと頭の中に『豊川信用金庫事件』の顛末がよぎる。
ことの成り行きを確認するため行列に並んでみた。
ん?
行列の客層にちょっとした違和感を感じるぞ(圧倒的に小洒落た感じの女性の割合が多いような気がするぞ)。
果たしてそこは地元で評判の有名パティスリーであった。
いきおいでケーキを購入。
食べてみると当然のごとく美味しい。
尾張旭の『エミリー』と静岡・浜松の『キルフェボン』が日本で1・2を争うケーキ店だと思っていたけれど,近所にも隠れた名店があったんだなぁと感心した(知らなかっただけでもとよりこの店は有名だったらしいけど)。
ケーキを食べながらあらためて10年後の職業について考えてみる。
18世紀末のイギリスで興った第1次産業革命(手工業が蒸気機関にとって代わられた)の際には,失業の虞を感じた労働者が機械を破壊して回ったことがあるという(ラッダイト運動)。
ちょっと不安になる…。
一方で,現代には「必要以上に不安視するようなことはないんだよ」と慰めてくれる識者も存在する。
岩本晃一氏によると,職業の概念は「職(job)」「仕事(work)」「作業(task)」に分けて考えると判りやすくなるらしい。
例えていえば,学校の授業にロボットが導入されて仕事(work)や作業(task)が減ったとしても,教師という職業(job)自体がなくなることはないんだとか。
美味しいケーキを食べ終わるころには,ちょっと心が軽くなっていた。
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by noritoyuka
| 2020-03-18 00:41
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梅は咲いたか
2020年 03月 14日
桜はまだかいな。
新型コロナウイルスの蔓延が,国内はおろか全世界的な脅威となっている。
我が職場においてもいろいろな行事が軒並み中止に追い込まれ,それらの主宰や関係するスタッフの志気がみるみる落ちている(経済的損失も大きい)。
年度が明けて暖かくなったらこの騒動もピークアウトするのかな。
一日も早い事態の収束を願ってやまない。
そんな状況のなか,いち早い春の到来を求めて(クラスターの形成に注意して)近所へ梅を見に出かけてみた。
我がカブにも新しくナビゲーションを導入してみた。
これでもう道に迷うことはなくなった(到着予定時刻が推測できるのもありがたい)。
出発が遅くなってしまったが,お昼ご飯を食べに一身田へ向かう。
国宝の専修寺を通過して,
目当ての店に到着。
が,すでに昼営業は終わりを迎える時刻となっている。
おそるおそる暖簾を潜って店主に訊いてみた。
「今からのオーダーは無理ですか?」
「いらっしゃい,全然大丈夫ですよ。」
はた迷惑な客を店主は優しく迎え入れてくれた。
落ち着いた店内。
ホッコリと癒やされる。
日替わりランチ。
丁寧な作りでとても美味しい。そして安い。
お腹が満たされたので,しだれ梅を見るために南へカブを奔らせる。
会場にはすでに先客が大挙して押し寄せている。
きれいな車両だ。
ファンネルには風呂の栓?
オーナーはとても大事に乗っておられるようである。
リムとハブ,それとスポークの綺麗さならば我がカブも負けてはいない。
しだれ梅を観賞して「はる遠からじ」を実感する。
そして,チューブレス化したリムのシェイクダウン(リークテスト)をするため,さらにR23を南下することにした。
『近鉄宇治山田駅』
そろそろお腹が減ってきた。
近くにある地元で評判の食堂へ行ってみる。
千客万来。
店内は満席であったため,しばらく時間をおいて再訪することにする。
シャッター街となったアーケードの中にあってこの店だけが営業を続けている(とても繁盛している)。
なんでだろう?
そんなに深い時間ではないのに,食材が底をついたため自分が最後の客となってしまった…。
そして,地元民のソウルフードとなっている『からあげ丼』を注文する。
なるほどおいしい。
お腹も満たされたので,津ぅに向かって伊勢街道を北上する。
家に帰り着き,140kmを走行したところでエア圧を確認。
チューブレスリムにはいささかの漏れも認められなかった!
今夏の『チャレンジ1000』に向けて,夢が膨らむシェイクダウンができたというハナシ。
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by noritoyuka
| 2020-03-14 21:41
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鉄分の補給ふたたび
2020年 03月 06日
「鉄子」に「歴女」,そして「刀剣女子」まで。
最近の女子にいたっては,かつて「オジサン趣味」と呼ばれた分野のあれやこれやに多大な興味があるらしい。
そういった女子達が垂涎となる企画(鉄道と刀剣のコラボレーション)が静岡で催されていると聞こえてきたので,さっそく当地へ見学に行ってきた。
向かうのは遠州にある『天竜浜名湖鉄道』。
同鉄道は,昭和10年に開業した国鉄二俣線を沿革にもつ静岡県西部の第三セクターである。
『金指駅』
上屋とプラットホームが登録有形文化財となっている。
桑田佳祐のPV撮影(白い恋人達)が行われたのはここだったっけか?
この路線の蒸気機関車が引退したのは昭和46年のこと。
その後も電化されないまま現在に至っているため,線路にトロリー線が配架されていない。
コ~~リング・ユ~♪
駅舎付近には『バグダッド・カフェ』ばりの蒸気機関車用給水塔が今に遺っている。
ようやく目当ての車両がやって来た。
「TH2113」と「KATANA」のWフェイス
サイドビュー
車両の中へ
新型KATANAの販売価格は 1,512,000円。
薄給のサラリーマンにはちょっと手が出ない…。
キリンは鳴かない。
足るを知るものは富むのである。
雰囲気だけでも堪能できたので,充分に満足して駅をあとにすることができた。
せっかくなので,ちょっと駅周辺をポタリング。
遠州鉄道(濱松軽便鉄道)奥山線の遺構(国鉄二俣線を跨線するための陸橋跡)
もともと奥山線は二俣線に先んじて敷設されていたところであったが,後から交差を計画した二俣線(国鉄)は東海道本線の非常時迂回線と位置づけられたため,奥山線の方が陸橋を築いてこれを回避(跨線)することとなったらしい。
かつての「親方日の丸」と「ローカル線」の不均衡なパワーバランスを今に伝えるレガシーとなっている。
なつかしい…。
このデパートは今でも三重で操業しているぞ。
東の空に映る神々しいヨシュア・トゥリーのシルエットを確認し,朝のポタリングは爽快のうちに終了した。
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by noritoyuka
| 2020-03-06 01:44
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プロのなせる業
2020年 03月 02日
「芸は道によって賢し」
今夏の『チャレンジ 1,000』の完走(出走?)に万全を期すため,C105のチューニングとスープアップをプロの手に委ねることにした。
お願いしたのは静岡市にある『BLUE MOTORCYCLE』。
技術力の高さとセンスの良さが巷で評判のショップだ(おまけに良心的な価格設定だ)。
まずは各種ガジェット用USB電源の新設。
馴染みの薄い北関東・甲信越・東北等のコースを走るには(24時間での完走を目指すには),コマ図に代えてカーナビに頼る方が無難であるという結論に達した。
ハーネスの分岐点,及びアウトレットやトランスの設置位置にセンスの良さが光る。
各種補機使用時の電流変化も問題はなし。
続いてサイクルコンピュータ用ステーの制作。
実に見事な納まりだ。
ストロークが短くインジェクターの使用できないケーブルには昔ながらの方法を用いて給油する。
動きの渋かったドラムを分解して洗浄。
驚くほどスムースに動くようになった。
ハブの研磨。
リムの振れ取り。
そしてリムのチューブレス加工。
この作業では主宰に相当のお骨折りをいただいた(修正で6回ほどのタイヤ脱着を強いてしまった)。
おかげでパンク時のリカバリー時間が大幅に短縮されることになる。
なんちゃってラリーストには大変ありがたいモディファイだ。
完成!
車両は完璧。
大過なくチャレンジ完走を果たすため,あとは乗り手の体力増強が必要だ。
この夏に向けて体力作りに勤しむことを(体重を適正値にすることを)リニューアルなったカブに誓ってお世話になった店をあとにした。
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by noritoyuka
| 2020-03-02 01:14
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君子は豹変す
2020年 03月 01日
現在は「光の尖端都市」として世界の医学や物理学分野を牽引している浜松市であるが,そのものづくりの源流には豊田佐吉らが興した「織機産業」や山葉寅楠が創業した「楽器産業」などがあるということが広く世間に知られている。
これらの産業に次いで戦後の遠州地方を盛りあげたのが「オートバイ産業」である。
大戦後,27回にも及ぶB29の爆撃によって市街地の9割以上が焦土となった浜松市では,「やらまいか精神」をもった技術者達の手によってオートバイ産業が活況を呈した。
『浜松オートバイ物語』天野久樹著 より引用
「石橋を叩いて渡らない」という堅実で慎重派の三河人と違って遠州人の気は逸い(短い)。
とりあえずやらまいか!
遠州の技術者達のなかには「石橋を渡ってから叩く」といったタイプの人間が多いのだ。
本田宗一郎が浜松市山下町に本田技術研究所を構えて自転車用補助エンジンの製造を始めたのが昭和21年のこと。
その7年後の昭和28年頃には30社を超えるメーカーが浜松に林立し,遠州地方は一躍「オートバイの町」としての名を馳せることになる。
ヤマト商会の『ヤマトラッキー号』,北川自動車工業の『ポートリーロビン号』,そして加藤鉄工所の『ストロング号』などが新聞等の広告を賑わした。
本田宗一郎のアート商会時代の弟子である伊藤正も,同市上池川町に丸正自動車を設立して(現在でも多くのファンを持つ)『ライラック号』を世に送り出している。
これらのメーカーは時代の趨勢を受けて整理統合され,現在もなおオートバイを生産し続けているのは ホンダ,ヤマハ,スズキの3社のみである。
一時たりとはいえ数々のレースでホンダなどを打ち負かした丸正自動車(かの伊藤史朗のライディングによって第1回浅間火山レースを制した)も,昭和36年に会社を畳んだ。
丸正自動車の設計責任者であった溝淵定は,ブリヂストンに移籍して同社の勃興に大きな力を発揮した。
やがてブリヂストンが本来の生業であるタイヤや自転車の製造に傾注するようになると,溝淵は台湾に異動して現在まで続く同国のモペット製造の礎を築くことになる。
機をみるに敏。
台湾から日本に戻った溝淵は,東海電装の技術責任者としての重責を担う傍らで,丸正自動車の同窓である請井由夫と共に新機軸のギョウザ製造機を開発した。
そういった沿革をもつ餃子センターへ,やらまいかスピリットがたっぷりと染みこんだぎょうざを食べに行ってみた。
ぎょうざ製造メーカーのアンテナショップ。
製造機の手による餃子,なかなか美味しくて食べ応えがある。
ついでに焼きめしとラーメンも注文。
いにしえから連綿と続く技術者達の魂を目のあたりにして(胃袋に納めて),大満足のうちにセンターをあとにすることができた。
現在の浜松市は,「光の尖端都市」であるとともに「餃子の街」となっているのである。
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by noritoyuka
| 2020-03-01 03:30
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