春とシュラフ
2019年 04月 16日
けれどもいまごろちやうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものではない
ひとさへひとにとゞまらぬ
(中略)
おまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれはすこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰掛けてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
(中略)
みんなが町で暮したり一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
(中略)
ちからのかぎりそらいっぱいの光でできた
パイプオルガンを弾くがいゝ
宮沢賢治『春と修羅 第二集 告別』より
さくらが綺麗だったので近所の公園を散歩してみた。
おなかも満たされたので,家に帰って月末に迫ったツーリングの準備をする。
若かりし時期に買い求めたキャンプ道具たち,彼らは初心を忘れることなく今も現役で立派に活躍してくれている。
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ。
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たかぴい
at 2019-04-16 23:00
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つまらないから、やめろという。
とは、言いませんが、北海道ですか?
とは、言いませんが、北海道ですか?
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noritoyuka at 2019-04-17 01:34
by noritoyuka
| 2019-04-16 00:00
| 日々の出来事
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Comments(2)